小金沢シオジの森に、足しげく通うようになったころ、長沢とは別の場所にシオジの群生地が見つかった。
それは、雁ケ腹摺山の山腹を這う、大峠から長沢出合を経由し大樺の頭へ向かう登山道を、1時間余り歩いた沢沿いの両岸に見られる。林道真木小金沢線を行くと、長沢のひとつ手前の沢なのだが、林道からはシオジの姿をうかがうことはできない。
この沢の群生地のシオジは、すくっと立ってはいるものの、樹木の一本、一本が長沢の森にくらべると、全体にスリムなものが多い。また、樹高も少し低そうだ。もっとも大きな違いは、春から秋にかけて、樹冠を通して広々とした青空を仰げることだ。
ともあれ、正確な状況をつかむためには毎木調査が必要だが、私の興味をそそるのは、なぜここにシオジの群生が誕生したのか、シオジの種はどのようにしてこの地にたどり着いたのか、長沢とは尾根ひとつ隔てただけなのに、この沢の樹齢が若いのはなぜか、などだ。この群生にも、長沢と同じように10年から50年程度の若木はないのも気になっている。さらには、森はこれからどのように遷移していくのだろうか、とせっかちな私には、新たな疑問がわいてくるのである。
とりあえず、見つかった当座、あれこれと思いめぐらしたすえ、この群生地を「もう一つのシオジの森」と名づけた。長沢沿いの「小金沢シオジの森」と区別するためである。
ところが最近になり、はたと気になることがでた。「もう一つのシオジの森」のある沢の名は何というのだろうと。県の担当者に尋ねたところ、林道台帳には記載がないらしい。
そこで、シオジ森の学校の校長を10年担っていただいた、名誉校長の小俣正次先生に教えを乞うことにした。正次先生には、現役を退かれても、森の学校の知恵袋として、折に触れご指導いただいている。
「長沢と別な場所に、シオジの群生が残っていました。長沢と尾根ひとつ隔てた沢ですが、名前がわかりますか。」
ストレートにお願いの趣旨を伝えたところ、自作の地図をひろげ見せてくださり、私がシオジの群生位置を示すと、「荒出し沢」と教えてくださった。
そのうえで、「荒出し沢」は、上流で二股に分かれており、「上の荒出し沢」と「下荒出し沢」が合流していることも、正次先生の地図に記されてあった。歩くとわかることだが、双方の「荒出し沢」周辺に、シオジが見られるのだ。
「沢の名前は、誰から聞いたのですか。」という、問いかけには、「上和田の人から。始終このあたりの山を歩いていたので、すぐに沢の名前を聞いて場所が分かった。」とのこと。
正次先生によると、かつてこの周辺でシオジの大群生があったのは、真木小金沢線の林道で長沢を過ぎ、マミヤの滝を眺望できる地点辺りから続く三つの沢だという。その名は、先生の地図では、長沢寄りから「三の沢」「二の沢」「一の沢」とある一帯だ。地図には、この沢の総称として「みくぼ」とひらがなで書かれていた。三窪の意味であろう。
「荒出し沢」も、現地を見れば、名の由来はすぐにわかる。この地は、少々の雨で沢が荒れ、大量の降雨で、沢の筋までも変わったに違いない。周囲には倒木も多い。そこで、先人は「荒出し沢」と呼んだのであろう。変化は、まだしばらく続きそうである。
この日、正次先生から、いくつものことを教わったが、それはまた別の機会に紹介したい。
なにゆえ、シオジはこのような荒れ地に、命を紡ぐのかと、また新しい問いが一つ増えてしまった。 春になったら、「荒出し沢」を、いち早く歩こう。シオジの芽吹きに間にあえれば、嬉しい。
(下澤直幸)